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6月30日(日)
さすがに大きな声では言えないが、遊園地が好きだ。日本にはDISNEY
SEAやユニバーサルスタジオなどがオープンしたらしく、帰国したい理由の上 位に食い込んでいる。1000万人都市カイロにももちろん遊園地はある(ことはある)。私の知っている限り5カ所の遊園地のCMや看板を見た事がある。その中でも最新マシン、最大規模を誇る『ドリームパーク』なる所へ行ってきた。好き、とは言っても歳相応に腰は重いので、何か理由がなくてはならぬ。ピラミッドのさらに向こうの砂漠の中にあるというのがまた面倒くさい。
最近恋人が出来たアツシが誘ってきたのが理由だ。アスワンハイダムで大量の電気があるエジプトの夜は眩しくてなかなか素敵だ。遊園地も光が溢れてるのだろう。アツシが恋人と浮かれているところをを見ているのは楽しそうな気がして、二つ返事で夜のドリームパークへ。
砂漠の夜は涼しく、また設計の甘いスプラッシュコースターは、バケツで水をかけられたみたいに濡れるので、真夏とはいえ寒いくらい。ジェットコースターも脱線しそうな気がして、別のスリルを味わった。機械の操作も手動なので、従業員の気分次第で速度や時間もまちまち。回し過ぎでぐったりしているおばさんが従業員に大声で文句を言っていたり、楽しかった急流下りを(降りずに)もう一周乗せてと家族全員で頼んでいたり、遊園地もやっぱりエジプト式だ。帰りの公共バスの中でも、興奮した気持ちそのままに手拍子をしながらみんなで歌を歌っていた。いい気分の夜だった。エジプトの遊園地も悪くない。
6月27日(木)
陶芸家でヘルワン大学教授、ナビール・ダルウィッシュ氏が死んだ。昨日まで元気にしていたから何だか拍子抜けだ。腕 はよいが、その毒舌っぷりで敵も多かったみたいだけど、私は好きだった。 まだ70前だろう。『ハマダ(陶芸家の濱田庄司)がエジプトに来たとき、私の作品にひどく感銘を受けていた』とか『ピカソが本当に恐れていたのはこの私だ』なんてことを真顔で話してくれたDr.ナビール。天国でも存分に暴れまくって欲しいと願う。
モスクで行われた告別式(?)にはモスレムしか入ることが出来ず、私は外にあるアフワでシーシャを吸いながら、皆が出てくるのを待った。サッカラにある私設美術館へ何度も誘われながら、結局行けずじまいだったことをぼんやり考えていた。遺言により国が管理する美術館になるという。帰国までに訪ねてみよう。陶芸家が死ぬと、とてもリアルに自分の一生を考えてしまう。偉大な陶芸家になれなくてもいいから、納得のいく人生を過ごしたいと思う。
6月26日(水)
こちらへ来てからというもの、本を読む時間がめっきり少なくなってしまった。時間はたっぷりあるのに、気がつくと夜中の2時になっていて、今まで一体何をしていたんだ???と思いながらベッドに入ることもしばしば。テレビを見るわけでもなし、仕事するわけでもなし。大抵は店主と濃い目のミルクティを飲みながらのおしゃべりで時間が過ぎていく。 今日あった面白いこと、頭にきたこと、料理や車のこと、言葉遊びみたいな冗談話、そして昔の話・・・。ほんわかして、上手く捕まえられないおしゃべりの時間。日本にいる時はどんな隙間の時間でも本やテレビや友人の色んな言葉や映像から何かをインプットし続けていないと気が済まなかったのだけれど、そういう必要性やら欲求が信じられないくらい薄まってしまっているのだ。日本の本屋さんや映画館やCD屋さんにはすごく行きたい。でも同じものがここにあって日本にいるときと同じ希求性をもって利用できるかというと、多分違うと思う。店主とおしゃべりしているのが何よりも幸せで楽しいからというのももちろん大きな理由だ。でもきっとそれだけじゃない。限られた時間を感じてあくせくやっていたらきっとあの無駄に大きなピラミッドはできていなかっただろう。今でもここに流れているのはあの時と同じ、のんびりとして到達点なんて必要でない時間。いつかできたらいい。できなくても、それでいい。
時々、本を声に出して読んでみる。計ったことがないから普通に目で読むのとどれくらい違うかわからないが、多分、大分時間がかかるんだと思う。一番最初は私が岡本かの子の「鮨」という短編を読んだ。だいたいは短編、でも店主は村上春樹の「スプートニクの恋人」を一日中朗読して聞かせてくれたこともあった。絵のない紙芝居のようで、たとえば「時間と経験」などという一句一句がすこんと身に沁みた。昨日は同じく村上春樹の「午後の最後の芝生」。短編だけれど40ページくらいあって、途中、喉と口が疲れて上手く発話をコントロールできなくなり聞いている店主の耳に障りはしないかと心配だったが、少し古い家が素敵で芝生の庭が気持よさそうで、朗読するにはいい物語だった。こんなふうに誰かと読書を共有するなんて、エジプト時間だからできること。好きな本を沢山読むのとはまたちょっと違った贅沢な読書。
6月24日(月)
誕生日モードはまだまだ続いている。午後から観光学部で日本語を習っている暁の生徒達にバースディパーティーをして もらった。マルワのお母さんが作ってくれたチョコレートケーキには36と書かれた巨大なロウソク。この数字の意味を考えると滑稽だが、みんなの優しさが嬉しい。やっと食べ終わったと思ったら、今度は巨大なリンゴタルトが登場。食べ物の量では常に予想を超えてゆくエジプト。あの特大ボディはこうやって作らてゆくのだ。
2日連続で取り組んでいる電動ろくろの修理。今日は大学の大掃除と重なって埃まみれだ。防塵マスクでもしないと寿命が縮まってしまう。同時に作ってもらった5台のろくろなのに、内部で使われているネジやパーツがどれも違う。修理も一筋縄ではいかない。
蛙の子はカエル。エジプト人の作ったろくろはエジプト人の分身。物にも人にも負けず、優雅にエジプトを走り抜けてゆきたい。今日も220ボルトの電流が身体を通り抜けていったけど、私はまだ元気だ。
6月22日(土)
先週、8ヶ月ぶりのテニスをして、マイ・テニスブーム復活。2日連続のテニスで筋肉痛が心地よい。ジューススタンドでフレッシュ桃ジュースを一気飲みしてから、午後はソフィテルホテルへ。暁のバースディプレゼント第2弾は、5ッ星ホテルのプール&ビールで過ごす日。目の前に迫る砂漠やピラミッドと緑に囲まれた真っ青なプールとのコントラストが贅沢の極めだ。プールでクールダウンして冷えたビールを飲み、眠くなるまで読書。目が覚めたらまたプールへ。終わりが来なければと願う反復運動は日没まで続いた。
私の永遠の夢はプール付きの家に住むこと。水の中にいると、何かが満たされていくのがわかる。好きなだけではない。プールを身体が必要としているのだ。
6月21日(金)
今日は店主の誕生日。まずは日が替わったとろこでシャンパンで乾杯をした。シャンパンの細かい泡が途切れることなくコップの底から上がってきて、まるで店主の誕生日をお祝いしてくれているのかのよう。そうか、だからシャンパンはお祝い事につきものなんだ。そんな泡を観察しながら久しぶりに酔っ払った。アルコールが入るとどうしてこんなに愉快な気分になるのだろう。色々な人がいるのかもしれないが、お酒に弱い私はそのおかげかいつも楽しいお酒が飲める。箸が転んだだけで「アッハッハ」といつもより高い声で笑ってしまうようになる。店主直々のイクラとトマトのオードブルもシャンパンによくあって、快調な36歳のはじまりはじまり!
昼からは友人が集まって、誕生日杯テニス大会。さすが店主、ツワモノばかりの面子でもこんな時はちゃんと自分で優勝を さらって行く。味噌っかすの私も今日は店主の誕生日パワーが乗り移ったのか、2勝も挙げてしまった。
次のイベントはナイル川ディスコ舟上パーティ。色とりどりの電飾がピカピカと輝き、ドンチャカドンチャカとエジプシャンポップスを大音量で振りまくディスコ舟は私たちの憧れの乗り物だったのだが、その上での誕生パーティなんてとっても粋な取計らい!夕刻の風は涼しくて、ドンチャカドンチャカも今日は少し大人しくて、ナイル川を漂うこと2時間、舟はずっと約20名の参加者の笑いに包まれていた。ナイル川もきっと幸せな気分で見守っていてくれていたんだろう。店主は「今までで一番、誕生日らしい誕生日だ」と言っていた。いくつになっても誕生日は素敵な日であって欲しい。そして世界中の人々がこんな幸せな誕生日を過ごすことができたらと願ってしまう。店主の36歳が素敵な1年になりますように。
6月19日(水)
昨日は店主が夕飯にクルミとオリーブペーストのスパゲッティを作ってくれた。少し甘くて入ってないのにキノコの味がするスパゲッティ。全部の材料が調和して、何かに包まれているような味になる。店主の作る料理はいつも美味しいけれど、今日みたいな料理がパスっと出てくると驚いて涙がでそうになる。毎日食べるご飯、食べなきゃいけないんじゃなくて、食べて幸せになれるほうがいい。そんなこと思って作ったらきっと美味しいご飯が作れるようになるのかもしれない。
今日は久しぶりに生徒に会った。先週、試験が終わってみんな晴々している。私は夏休み中の授業に備えて作った教材について生徒と話していたのだがいつの間に話題はエジプト考古学談義へ。観光ガイド志望の生徒たちは本当によくひとつひとつの像や背景について勉強している。そして使命感たっぷりの顔で嬉しそうに私に話してくれる。自分の国の歴史や文化について、こんなに話すことがあって、こんなに嬉しそうで、、、。少し羨ましくなってしまった。
6月18日(火)
ワールドカップ。出場してないくせにエジプトでもやたらと盛り上がっている。日本は消沈ムードだろうけど、サッカーファンの楽しみはこれからだ。中継の途中で流れるコマーシャルも気分を盛り上げる。中でも傑作なのがフィーゴが出てくるコークと、ロベルトカルロスのペプシ。
ちびっ子が街角でサッカーしてると、中学生がやってきて「コークやるから場所かしな」ってな感じで、ちびっ子達はしぶしぶコーク飲みながら見学することに。しばらくするとフィーゴやヌーノゴメスがそこに来て、中学生から場所を奪い取る。すると今度は老人プレイヤー達がやってきて、フィーゴ達も場所を譲りコークを飲みながら見学すると言う話。年功序列っぷりが懐かしくて笑える。
もう一つは、日本の小学生がロベルトカルロスに空港でサインをもらうところから始まる。小学生は頭を下げて深くお辞儀をした後、ペプシを差し出す。場面は変わり日本とブラジルの試合中。ファウルをもらいフリーキックを打とうとするロベルトカルロスの前に整然と並ぶディフェンスの壁。彼は空港の小学生を思いだし、深くお辞儀をすると、壁に立った日本選手がつられてお辞儀をしてしまう。その隙にシュートを決めるというやつ。日本で放映したら大問題になるのは必至。でも面白くてつい笑ってしまう。そう、世界の祭典は今からが本番だ。
6月14日(金)
日本とエジプトの時差は6時間。H組最終戦は朝の9時半に始まった。アラビア語のアナウンスで観戦するワールドカッ プは遠い国で繰り広げられている死闘が更に遠く感じられ、祈るような気持ちで胸が痛い。京都では、なぜかラジオでしか実況されなかった8年前のドーハの悲劇を思い出していた。ロスタイムで日本が同点に追いつかれた瞬間、興奮と絶望でアナウンサーは言葉を失った。友人達とラジオを睨み付けていたが、そこには喜びとも悲しみとも取れる歓声が流れているだけ。日本がワールドカップに行けないと知ったのは、それから数分後のことだった。
チュニジアを相手に果敢に攻撃を繰り返す日本。ドーハの時とは違う日本代表がそこにはいる。エジプト人の実況は、日本人の髪が赤や黄なのは天然じゃない事を繰り返し言っている。どうでもいいことだ。大切なのはゴールを決めること。それが彼らの全てだ。トルシエらしい選手交代がピタリと決まり、モリシと市川が見せ場を作った。そしてナカタが決めた。
日本ではどれだけ盛り上がっているのだろう。どこのチャンネルでも特集を組んでるのだろうか。この2年間、今日ほど帰国したくなった日は今までない。
6月10日(月)
今朝、友人のシブが帰国した。8日間のエジプトの旅。シブが来たら砂漠に行こうと心に決めていたから、紅海の誘惑を振りきり、カイロからの12時間の道のりに耐え、シーワオアシス行きを決行した。シーワへ向かうミクロバスは低くて渋いリズムの民謡が流れ、男はみんな白いガラベイヤ、女は黒いベールで顔を隠した上に独特の刺繍が入った布のマントという井出達、外の気温は前進するにつれどんどん上がっていく。道の向こうには蜃気楼が見える。到着したシーワの町は砂漠の中にあって、崩れかけに見える泥とレンガの建物、ロバのタクシー、例外なくガラベイヤの人たち、深緑の葉をしだれさせる椰子の木々はまるで時間が止まってしまっているかのよう。町の人が話している言葉は聞 き覚えがない。どういうわけかアフリカを感じる言葉でたまにアラビア語と同じ単語が混ざる。シーワの言葉があるのだという。話量の約5分の1を喧嘩に費やしているアラビア語の生活にどこかで疲れた私には意味の伝わってこないシーワ語での会話が耳に心地よかった。町人に紹介してもらったレストランの食事もオアシスの夜の気持ちよい風をそのまま料理にしたような美味。脳天直撃の濃〜いシーワ茶のもてなしも嬉しかった。
翌日は砂漠ツアー。迎えに来たのは青いランドクルーザーのトラック。走ること30分、回りは白い粉のような砂の大地になる。次々と形が変わっていくホイップクリームのような砂の起伏、その稜線と空は溶け合って凝視すると吸い込まれそうになる。風が砂の上に残していく紋様は波のような魚の鱗のような。照りつける太陽に身をさらしたくて、私とシブは身につけた布を取ってビキニになり、砂の上に寝転ぶ。砂漠に生えた草のように、生きていることを肌で実感する爽快感。そのまま眠ってしまいたい欲求に駆られている私を尻目に、青いランクルは出発の合図をする。しかし、ランクルの荷台で砂混じりの風に吹かれながら砂漠を眺めるのもまた清々しい。砂漠の夕日、地面ぎりぎりまで埋め尽くす満天の星。次第に風が強くなり、頬にあたる砂の痛みに、美しさと比例する自然の厳しさを思いながら、それでも粘って私たちはお喋りを続けた。2年ぶりのお喋りに格好の場である星の砂漠に意地でも座っていたかった。毛布に横になる。相変わらず頬には砂風。目の前には星空。これじゃ眠れないと思いつつ、気がつくと空は白くなり、朝の赤い月が出ていた。昨晩のお花摘みは乾いた砂にとっくに吸収され、足跡を残した気でいるのは私たちだけ。体とかばんを砂でジャリジャリいわせてシーワの町へ戻る。そしてそのままバスに乗る。
シャワーですっかり砂を落としてしまった後も、どこかに砂漠の余韻と熱が残ってしばらく遠い眠気が消えなかったが、カイロに帰りついた翌日、私たちは何かに憑かれた様に買い物をして街の娘に戻っていった。そして、今日、シブは東京へ。私は遅い朝食の鳥丼を作り、近々再開する授業のこと、4ヶ月後の日本の生活のことなどボンヤリ考えて過ごした。
6月1日(土)
朝6時、日本から来ていた母を空港に送りに行った。今日は雲が多くて涼しいが湿っぽい、エジプトらしくない天気。飛行機からピラミットを見ることができるだろうか。
家に帰ってベッドへ直行、起きたら2時だった。久しぶりにスパゲッティを作った。三度豆とズッキーニのバルサミコ風味だが、いまいちの出来。三度豆に全然味がついていないのにソースは 濃い。エジプトの野菜は何でも味がバシッとして美味しいが、問題は皮が固いことである。時々、調理の方法を工夫しなければならない。三度豆のような野菜はフライパンに入れる前に茹でた方がいい、と店主に教わる。なるほど。
ローダ島の7階の部屋から見える、土色のアパートたちの屋上は、建てかけのままで放置され、そこに白、水色、赤紫色の衛星放送のパラボラアンテナが方々に立っている。その様相はまるで月面基地。新入りの皿を探すのが店主と私の日課である。今日はビルの途中階のベランダから突き出た水色の皿が一枚、はす向かいの屋上の白い皿が一枚。こんな観察、暇人にしかできないことだろうが、新しい皿が野放図に増えては砂で汚れていく、そんな移り変わりを毎日注意深く眺めているなんて、私たちはローダ島の風景の番人なのかも!などと考えてしまった。でも実は、皿よりも、皿があったら見られるかもしれないワールドカップの方が重要な気もするのだけれど。
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