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9月27日(金)
ポートサイードに住んでいるネエさんとふちゃちゃ。穏やかな2人の強引な招待を受け、ピジョー(乗り合いタクシー)に乗ってこの地中海の港町へむかった。初めて尋ねたポートサイードは異国情緒たっぷりの素敵な町。海育ちの私にはたまらなく懐かしい(どちらかというと臭い)潮の匂いが街中を覆っている。
『毎週水曜日、寂れた海辺のアフワで繰り広げられる、地元老人たちの宴がかなり面白いらしい。』私が重い腰を上げた誘惑の一言だ。エジプトの『イイ』音楽を聴きたい。この国でやり残したことだから。ソムソメイヤ・タンブーラと呼ばれる楽器を器用に操り、老人たちの歌と踊りは夜中まで続く。店名『カフェ・ナグム』は星の意味。星空の下、私はシーシャを吸いながら目を閉じる。優しい音楽は、長いエジプト生活のご褒美みたいにゆっくりと体に染み込んでいく。
9月20日(金)
今朝、夜行バスでダハブから帰った。
スエズ運河を越え、シナイ半島を南周りで半周すること9時間。アラビア語で「金」という意味をもつ町ダハブは、茶色のグラデーションを描いて連なる岩の山々と乳水色から紺碧までの青色を見せてくれる紅海とに挟まれた静かなリゾート地だ。まるでほかの星のようなその風景の中で、私たちは日常から遠く離れて、ゆったりとした時間を過ごすために、遙々カイロからやってくる。
店主と私は海に潜る。装備はマスクとシュノーケルとフィンだけ。たっぷりと息を吸い込んで頭を垂れる。60メートルの真青な底に吸い込まれるようにして体が沈んでいく。海の水が肌に溶けていくのを感じながら、サンゴや魚たちに挨拶したりしながら、深く深く。そして、水ごしの太陽を浴びてゆっくり浮上する。店主は青い水着をつけて、サンゴの林のあいだ、魚の群のあいだを縫うようにして、水と戯れる。水の中の店主は、まるで魚かイルカののようだ。いつも水面に上がってきた時の顔はニコニコしている。息苦しさの中で、何か素敵なものを見つけたのだろうか。
二日目、風の穏やかな日。アブガルームという砂漠の基地へ行った。まずシープで岩山を抜け、途中でラクダに乗りかえる。ラクダの背で揺られながら、でこぼこの道を海に沿ってベドウィンのビーチへ向かった。ラクダは眠たげで穏やかな目をしているのに、険しい道を乗り手にボコボコ蹴られながらも淡々と前進していく。店主はそんな偉いラクダが気に入って、早速、操り方を覚えて一人であちこち歩き回っていた。そんな店主とラクダの後ろには真っ青な海。ここはどこだろうと言いたくなる光景が広がるなかで、私たちはまた海に潜り、敷物の上で昼寝をし、静かで気持ちのよい時間があっという間に過ぎていった。
そんな六日間をダハブで過ごし、カイロへ戻った私たちに残されたここでの時間はあと二週間。
ここはここで、忙しくて賑やかな日々が瞬く間に過ぎていくのだろう。
9月07日(土)
店主の学部のガラス学科の卒業生であるサーメヘは小柄の知性派で、ホーキンズ博士に通じる外見をしている。店主を呼ぶ時は必ず「ミスター」を付ける礼儀正しいところ、鳥や草花が大好きなところなどはエジプト人にしては風変わりだが、そんな彼になんとなく親しみを感じて昨日は誘われるままに外出した。
まず訪れたのは、ピラミッドのそばを流れる運河沿いの邸宅。サーメヘの友人、美術教育学部の女教授の家である。そこには極楽鳥などの花が咲いた庭園があり、にわとりやガチョウの小屋があり、放って置かれた一輪や工具があり。そこにポツポツと不思議な人がいて。物静かで澄んだ空気の流れる、豊かな空間だった。
そして、先日亡くなった陶芸家、ナビールダルウィッシュの美術館へ。少し沈んだ面持ちの夫人が迎えてくれた。なんという自由、なんという孤高。どちらかと言えば、それらからは遠い気がするエジプト人の一人である彼の、作品が伝える自由さ、孤高さに、とても驚き、作品の前からなかなか足が動かせなかった。黒い皿の中に残された力強い踊る女性。強い意志がピリピリと伝わってくるフォルムの壷の上の柔らかな線。エジプト人であること、店主の知り合いであること、そういう彼の属性から離れて、素敵だ、好きだ、と思った。そして、太陽の下のアトリエ。そこに残された蹴ロクロと亡くなる直前まで作られていただろう窯に入る前の作品、そして、作業用のデッキシューズに前掛け。アラビア語に、アトラール:何かが去ったあとにそこに残されたもの、という言葉があるが、彼のアトラールは彼自身の芸術家としての生き方を語っていた。そして、自由になりなさい、自分の感覚に正直でいなさい、そんなことを故人に諭されているような気がした。
バスに乗って、サーメヘの家へ行くと、サーメヘの家族と山盛りの料理が待っていた。店主と私は前日の晩から何も食べていなかったので、かなりお腹が空いていたのだが、歓迎の肉料理の前で、私たちの空っぽの胃袋も玉砕した。とは言うものの、ハーブの効いたトマトソースのミートボール、ニンニクたっぷりのファッタは、エジプト生活残りわずかの私たちにとっても新しいメニューで、まだあったのか!と興奮したことも確か。味も申し分なく、本当は「美味しい!」で終わらせたい食事なのだが、、、。問題はいつも、量なのだ。
今まで見たことのないくらい手の込んだ貝細工の箱をプレゼントされて、帰りは父上に1968年式のフィアットで送ってもらって、帰宅した。エジプトの隙間のようなところに少しずつ感動を覚えた一日だった。そんな日が送れたのも、私たちと歩いていると、アラビア語の上手い日本人だとエジプト人から何度となく間違えられる境界人サーメヘのおかげである。
9月03日(火)
今朝、ケイスケとアズマがエジプトを後にした。1ヶ月間のアフリカ旅行で買い漁ったお土産でカバンはパンク寸前。極めつけはシーシャ。エジプト滞在中、暇があるとアフワに座っていた彼らは完全なシーシャ中毒者。何としても持って帰りたいという。どうせならお土産用のインチキではない、本物を持たせてやりたい。エジプト人譲りの余計なお節介が後の不幸を引き起こすことに・・・。
私たちはフトゥーフ門近くにあるシーシャ用品の問屋街へ向かう。狭い道の両側にはシーシャに関わるあらゆる部品が揃う店がずらり。アフワの主人達が必要な物を買いにやっ てくる、まさにプロの世界。パーツごとに細かく値段が違い、その種類の多さに圧倒されながらだんだんと食傷気味に。何が良いのか、どれが必要なのかわからなくなってくる。そして何を血迷ったのか、ケイスケとアズマはそれぞれが2セットずつ買うという。友人が訪ねてきたとき一人で吸うのは寂しい、というごもっともな意見に納得して購入。誰も正しい判断力なんて機能していない。今日も暑い中を歩き続けたのだ。
タクシーで部屋に帰り、その巨大な4つのモノを見て皆正気に戻った。高さ80B、真鍮とガラスで出来た重厚な芸術品。小さな観光客用シーシャとは違うのだ。本物はやっぱり違う・・・。
両手に大量のビニール袋。背中に巨大なバックパック。前にもディパック。立っているだけで顔が苦痛にゆがんでいる。ビニール袋から怪しいアフリカの太鼓が顔を出している。
もし無事に帰国できたら連絡下さい。
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