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1月31日(金)
鉛筆がシャープペンシルに替わってゆく頃、私は小学生だった。移行期には愉快な珍品が出回るのは世の常。『ロケットペンシル』と呼ばれる筆記用具がブームになったのもこの頃。芯の先が丸くなり、その部分を引き抜いておしり に差し込むと、次の新しい、とがった芯が押し出されて出てくる。芯と付属の小さなプラスティックが15本ぐらい入っていて、一巡したらおしまい。ドラマティックな鉛筆である。お金はあった(はず)だが子供にはひどく厳しかった親は、もちろん『ロケットペンシル』を買ってはくれなかった。私は腹いせに、友人の芯を一つ抜き取ってしまう。一つでもなくなると、おしりから押し込んでも次の芯は出てこないからだ。
シャープペンシルが出回ってきても、お小遣いのない私には夢のまた夢。実際、出始めの頃のシャープペンシルは重厚で高価だった。そんなある日、廊下の落とし物箱に銀色のシャープペンシルが入っていた。傷だらけではあったが、それは銃のように鈍く光っていた。3日考えたあと、私はそれを自分の物にした。盗んだような罪悪感より興奮の方が上回っていた。
生まれて初めて手にしたシャープペンシルを、皆は覚えているのだろうか。物持ちの良い私は、28年経った今も手元に置いている。もちろん現役のダブルノックである。
1月29日(水)
今日は道具の整理をした。帰国してからほったらかしだったリプトンの缶を開ける。かび臭い匂いと一緒に懐かしい道具 達が顔を出した。エジプトに赴任したての頃、道具を作るための素材を探して街中をかけずり回った日々が鮮明に甦ってきた。
『こんな感じの帯鉄が欲しいんだけど。』その日はカイロ最大の市場、アタバからスタートした。まだエジプト人を信じていたあの頃、道行く人に教えられるままの場所に向かってひたすら自転車のペダルを漕いだ。強烈な陽射しは持参したミネラルウォーターを一瞬で空にさせ、街角のジューススタンドの偉大さを痛感させられる。
鉄工所の集まるショブラに到着したとき、もう既に日は暮れて多くの店は人がいなかった。光のこぼれていた扉を開けて、そこで寝泊まりしていた職人のじいさんに鉄を譲ってもらう。たしか1キロ2ポンドだった。
廃材から調達した木片。近くの植物園から生徒たちと盗んできた竹。それらのマテリアルは私の手によって陶芸に欠かせない道具となった。生徒たちもそれに習って美しい道具を作った。
接着剤を使って、それらの道具を丁寧に板に貼っていく。あの頃酷使した道具達は、さまざまな思い出と一緒に封じ込まれて、今は工房の壁から静かに私を見ている。板に小さく書かれた『サナァ・フィ・マスル(エジプト製)』の文字は何故か私を勇気づける。
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